蘭を愛でる文化は古くは中国最古級の書物にして儒学の五経に数えられる詩経や易経にみられ、徳のある人物の纏う香りや信頼し合う人同士の友情に例えられていたようです。
尤も記述される特徴からラン科の植物ではなくキク科の藤袴のようなものだとの説が有力ですが、儒学において蘭が徳と関連が深いという価値観が出来ていたようです。
ラン科の植物がいつ頃から蘭と呼ばれるようになったかははっきりしませんが孔子の時代から千年下った唐代あたりにはそれらしい記述がみられるようになり、宋代には蘭の園芸書が書かれるほどにはラン科の植物を蘭と呼ぶようになっていたようです。
この宋代には詩や絵の題材としても好まれるようになり、水墨画を通じて禅の価値観でも好まれるようになっていきます。
本邦においても令和の元号の元となった万葉集の歌「于時初春令月気淑風和梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香」にみられます。
梅花を愛でる歌会を催すにあたり、梅の白さを貴婦人に、蘭の香りを貴人になぞらえた序文ですね。
こちらも先述の儒学の価値観を土台にした表現の為、藤袴のようなもの指すと考えられていますが、当時唐で蘭と呼ばれることがあることと春の歌会であったことを踏まえて春蘭だったことに思いをはせるのも一つのロマンではないでしょうか?
時代は下り草木の四君子(蘭、竹、菊、梅)に数えられた春蘭は日本においても室町時代には儒学や禅に近しい武家を中心に富貴蘭や万年青などと共に愛されていたようです。
ここまでの春蘭は主に香りの強い中国春蘭が主流だったようですが、江戸時代の園芸隆盛で香り以外の芸の鑑賞基準が増えたこともあり、明治期に花や葉の美しい日本春蘭も好まれるようになっていきます。
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